こんにちわ。
レイです。
今日は僕の大好きな漫画『バガボンド』について語りたいと思います。
バガボンドは数々の名言があるのですが、登場人物を通して読み手にまで言われているような感覚になります。
心に染みる名言ですね。暖かく愛があるのです。
生きることに疲れた人 挫折した人を救ってくれるかのうよう。
頑張る人にそっと背中を押してくれるかのよう。
人生の教科書であり、生きることに疲れた人の特効薬とも言えると思っています。
そんなバガボンドの名言を紹介していきます。
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試練は何のために与えられると思う
もっと大きく強くなるためだろう
出典:バガボンド4巻
吉岡道場が火事で燃えてしまい、道場のみんなが落ち込んでいる時に植田良一が発した言葉ですね。
その頃何もかも上手く行かなかった僕の心に突き刺さります。
「そうか。この試練は神様が自分なら乗り越えられると思い与えられたものなんだ」って思い直し奮起した記憶がありますね。
そして今の僕の状況もそうです。
この先何十年も背負っていくであろう悲しみを受け入れ、僕は成長しながら歩いていくしかないのです。
おそらくきっと神様は僕が乗り越えられると思ったからこそこの試練を与えているのだろうと思っています。
まさに大きな試練でありますが、辛いけれど目を背けることなく努力すれば大きく成長できるし、人間としての深み、器も大きくなるだろう信じていくのみです。
一枚の葉にとらわれては木は見えん
一本の樹にとらわれては森は見えんどこにも心を留めず 見ることもなく全体を見る
それがどうやら…………「見る」ということだ
出典:バガボンド4巻
このシーンを読んだ時僕は「ハッ」としたのを覚えていますね。
壁にぶつかってすごく悩んでいる時に視点がかなり狭くなりすぎて、物事を客観的に見れていない時があると思うんです。
感情に支配され冷静でない自分がいる。それが故に俯瞰して見れていない。
また思い込みや先入観で違う見方をしていたり、自分で勝手に問題を大きく捉えたりする場合もあります。
苦しい経験や辛い経験を重ねてきたからこそ今では俯瞰して見れるようになってきましたが、何か大きな問題にぶつかった時はこのシーンを思い出し、感情的な自分から一歩下がって、冷静に全体を見ること 俯瞰して物事の本質を見ないといけないと思うようにしています。
どんな剛の者でも真剣勝負は怖い
じゃがその恐怖から目をそらさずに受けとめ
それを傍らにのけておくことができる
それが本当に強い者じゃ
出典:バガボンド6巻
胤舜との勝負に破れた武蔵はいかに自分がちっぽけな存在だったか思い知らされます。
武蔵は「俺は強い!」と思い込みたかった自分の弱さ、死の覚悟すらできていなかった自分に気づきます。
胤舜に勝つために胤栄に修行を依頼するのですが、まずは自分の負けを認め相手を知ることが重要であると教えられます。
武蔵は負けた自分を見つめ直し、恐怖と向き合います。
胤舜のあの眼光、立ち姿に圧倒された自分
そして自分の力を過信し、何の兵法もなく勝てると思いこんでいた自分は愚かだったことを認めます。
そして胤栄に稽古をつけてもらうのですがなかなか恐怖は拭い去れません。
それでも胤舜に勝つしか前へ進めないと努力を続けるのです。
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どんなに強い人も実力がある人も誰でも真剣勝負って怖いんです。
勝ちたい強い気持ち、絶対勝たなければならない理由など背負うものがあるほど恐怖にとらわれ剣はますます出なくなります。
ですが恐怖や挫折を経験したことは大きく、心の充実を得るにはなくてはならないものです。
自分の弱さを認め恐怖も受け入れることで成熟し、相手を受け入れながら努力を重ねていくことで大きく成長できるんだと学びました。
あらゆる状況を―
時に己の命を業火にさらすような状況を乗り越えてこそ
「心」は充実を見る
出典:バガボンド6巻
どんなに剣術に秀でいても、真剣勝負のやりとり、恐怖と向き合うことがなければ心は成熟しないので本当の意味での強さではないと思う。
心・技・体 この三つが揃ってこそ新の強者なのだと。
苦しい経験や辛い経験 色んな危機的状況を乗り越えてこそ本当に強いのだと。
そのような経験がなければいざ自分より強い相手が現れた時、危機的状況に陥った時は脆く崩れてしまうのである。
逆に考えれば挫折したとか辛い状況である時は成長できるチャンスなのだとも言える。
生きることに疲れ、報われぬ人生になげいていた僕に一つの光が差し込んできて救われたような感覚になりました。
ここから這い上がろうって。
どん底なんだからあとは上に行くだけじゃんって。
だから僕はピンチの時こそチャンスだと 成長できるチャンスと思っているんですよ。
そう考えるとワクワクしてくるんですよね。
そう考えさせてくれたのもバガボンドの名言なのです。
感謝です。
それでは。
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