豪快な右足でゴールを量産した偉大なるレジェンド バティストゥータ

こんにちわ、レイです。

今日はレジエンドであるガブリエル・バティストゥータについて語りたいと思います。

バティストゥータは僕がロナウドを知った時、世界選抜で一緒にプレーしているのを見てもの凄く興奮したのを覚えてます。

スピードとテクニックのロナウドとパワーと高さのバティストゥータ!

柔と剛みたいな。
こんな最高のツートップがいるのかって観るものを楽しませてくれましたね♪

この2人にスルーパスを出し圧倒的な存在感を出していたのが元日本代表でレジェンドの中田英寿選手。この3人による攻撃は魅力的で欧州選抜を圧倒していたのでマジでハンパなかったです。

僕たち少年の心にいつまでも残っていますね。

バティストゥータの基本情報 特徴について

本名:ガブリエル・オマード・バティストゥータ

愛称:獅子王、バティ、バティゴル

生年月日:1969年2月1日

身長:185cm

体重:73kg

さてこのバティストゥータの特徴は何と言ってもパワフルで豪快なシュートです!

こんな所から打ってこないだろうという距離からドッゴーーン!!ってもの凄く強烈なシュートを蹴りこみマジでインパクトデカかったし、見てて本当に気持ちよかったです。

左右両足はもちろん高い打点からのヘッドももの凄く強烈で、FKも一級品。

遠かろうが近かろうがお構いなしにドッゴーーン!!

ってゴールに突き刺さるシュートも素晴らしすぎます。

この時代のセリエAは素晴らしいDFも多かったですがそんなの形振り構わず強靭なフィジカルと瞬間的な爆発力で圧倒し、かつ冷静な判断力も持ち合わせ落ち着いてゴールを決めることができるストライカーですね。

生粋の点取り屋ですよね。
ゴールを決めた後は長髪を揺らし雄たけびを挙げる姿から獅子王と呼ばれていました。

他にもバティゴルなど愛称があります。
本当にこんな迫力のあるのに顔も強面であるので間近に来られたら普通に怖いっすw
迫力がハンパないよね。

でも心優しいで性格で家に帰れば子供との時間を大切にして過ごすいいパパなんですよね。

うん、すごいギャップだw

さらにフィオレンティーナには天才ルイ・コスタがいましたからこのスルーパスでチャンスを作り出しバティが決める。

この2人でどんだけゴールを奪ったのか 観てる人たちを魅了し永遠に語り継がれていくでしょう。

バティストゥータの経歴

バティは元々バスケットボールに興味があったんですよね。

地元開催のW杯アルゼンチン大会で当時の代表のエース マリオ・ケンペスのプレイを見てサッカーの興味を持ち始めたそうです。

17歳でようやくバスケットボールからサッカー選手へ本格的に転向します。

地元のクラブレコンキスタ・サンタフェと契約します。
バティは学業も優秀で医者も目指そうかと思った時期もあったようです。

1987年 ニューウェルズ・オールドボーイズへ移籍して2年後の1989年にアルゼンチンのリーベル・プレートへ移籍します。
この頃は特別な選手でなく才能は伸び悩んでいたそうです。

1990年ライバルクラブのボカ・シュニアーズへ移籍。ここでストライカーとして覚醒します。

1990-91シーズン 19試合で11得点をマーク。
一躍スターに上り詰めます。

アルゼンチン代表としてコパ・アメリカに参加。
6ゴールを挙げアルゼンチン代表 優勝へと導き、自身も得点王に輝きます。

そしてイタリアへ渡りセリエA・フィオレンティーナへ移籍。

1991-92シーズン 加入1年目で27試合出場13ゴールの活躍。

しかし1992-93シーズン チームは低迷しセリエBへ降格するんですが、バティの移籍が取りざたされるも残留を決意。
残留したことで街のみんなから慕われる存在に。

代表でもコパ・アメリカ大会決勝で2ゴールを決め2連覇を達成。

そして1シーズンでセリエAへ復帰に貢献します。

1994年 W杯アメリカ大会 大会4ゴール(チーム内1位)の活躍を見せるもベスト16で敗退。

1994-95シーズン開幕11試合連続ゴールのセリエA新記録を達成。
ルイコスタとの最強コンビでゴールを量産し、26得点をマーク。得点王を獲得。

コパ・アメリカ ウルグアイ大会では優勝を逃すも得点王を獲得。

1998年 W杯フランス大会。大会5ゴール(チーム内1位)、チームはベスト8の成績を収める。ジャマイカ戦でハットトリックを達成。前回大会に続き2大会連続のハットトリックを決めている。

1998-99シーズン 前半戦だけで17試合17ゴールという量産ぶりの活躍を果たす。チームも首位、得点王も獲得なるかという状況であったが、終盤に左足の怪我を負い、得点王はアモローゾに奪われる形となった。

2000年 スクデット獲得への熱い思いがありローマ移籍を決断。約40億円と当時破格の移籍金で移籍。あの中田英寿とチームメイトとなる。

2001年 移籍1年目で20ゴールをマーク。ローマの18年ぶりのセリエA優勝に貢献。
念願のスクデッドを獲得する。

W杯日韓大会の南米予選でクレスポとのレギュラー争いが話題となる。南米予選は圧倒的な強さで通過を決めW杯では優勝候補だろうと評価される。

2002年 W杯日韓大会。優勝候補とされていたが自身も1得点のみの活躍でまさかのグループリーグ敗退となる。代表から引退を宣言する。

2003年 インテルへ移籍。
2002-03シーズン終了後12年間過ごしたイタリアを去る。カタールのアル・アラビへ移籍。

2005年 現役を引退。

偉大なる点取り屋のバティストゥータ

コパ・アメリカ得点王に2度輝き、1994-95セリエA得点王も獲得。

本当に素晴らしいレジェンドだと思います。

圧巻の強烈で豪快なシュートは僕達サッカー少年を虜にしました。

ローマ時代は僕らの中田英寿選手とセリエA優勝に貢献。

あの優勝したシーンは強烈に覚えています。

感動をありがとう!バティストゥータ!

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