レジェンド特集!ロナウドについて

出典:「https://www.realmadrid.com/ja」

こんにちわ。

レイです。

さて今日はレジェンドの選手を紹介して行きたいと思います。

元ブラジル代表のロナウド選手。

本名:ロナウド・ルイス・ナザーリオ・デ・リマ

愛称:フェノーメノ(怪物)

生年月日:1976年9月22日

身長:183cm

体重:95kg

ポジション:CF

利き足:右

ロナウドとの出会い 衝撃的なプレーでのめり込む

このロナウド選手こそが僕が海外サッカーにドハマりしたきっかけですね。

初めて見た時は「何だ?この選手。めちゃめちゃ速いやん!3人に囲まれようがドリブルでドンドン抜いていってGKまで抜いてるし。

「何なんだーーー!!!!!!!!!」とあまりの衝撃でしたね。Jリーグしか見たことがない僕にはそれはそれは異次元の選手でした。

世界にはこんな選手がいるのかーって脱帽したのを覚えています。

この時はロナウド選手はバルセロナでしたが、トップスピードでシザースやエラシコ、ダブルダッチなど使いまくって、ガンガンドリブルで切り裂いて行く。

そのスピードがやばくてインパクトはデカかったです!!

ドリブルしているのにDFよりも速く走っちゃうってのもヤバかったなぁ~

今でならメッシやC・ロナウドがヤバいヤバいってなりますけど、ピーク時のロナウドは僕の個人的な見解ですがそれを超えてるかもしれないですね。

そのくらいあまりにも速すぎて誰も追いつけないし、ファウル覚悟で掴みにいってもはじき返したり、引きずりながら突破していくし。

3人4人囲まれていようがフェイントや股抜きを駆使して一気にゴール前まで駆け上がって最後はGKまで抜いてしまう。

当時僕はGK抜いていいとは知らなかったというかそういうGKまで抜こうという概念すらなかったのでそりゃあ驚きましたね。

テクニックも相当ですがパワーもあって豪快にシュートを決めますし、シュート精度やテクニックは素晴らしいものでした。

右足左足どっちでも変わらない上手さがありました。

ロナウドの成績

ロナウドは素晴らしい成績も残しています。

1994年
PSVアイントホーフェンに移籍し、1年目で30得点を達成してますね。
もうこの時点ですごいですね。在籍3シーズンで57試合出場して55得点。その内リーグ戦には46試合出場42得点 1994-95エールディヴィジ得点王を受賞しています。

1996年
オランダでの活躍が認められてスペインのバルセロナへ移籍。1シーズンしかいなかったんですが、リーグ戦37試合34得点を記録。得点王にも輝いてますね。

ブラジル五輪代表としてアトランタオリンピックに出場。リバウド、R・カルロス、ベベッドらを擁し、優勝候補とされていたが準決勝でナイジェリアに敗れ敗退となる。グループリーグで日本との初戦で対戦するがあの有名な「マイアミの奇跡」はこのことである。
ロナウドはハンガリー戦で初得点をあげ、大会を通して5得点を記録。

1997年
インテル・ミラノへ移籍。移籍初年度に25得点を記録。セリエAでは1年目で外国人選手によるものでは最多ゴールで未だに記録は破られていないそうです。
そして2年連続でFIFA最優秀選手賞を受賞しています。バロンドール受賞。
現地のマスコミによって「イル・フェノーメノ(超常現象)」と呼ばれ、まさにこの時がロナウドの絶頂期だったと言えるでしょう。

1998年
フランスW杯に出場。ロマーリオとの2トップで出場予定されていたがロマーリオがまさかの直前リタイヤとなってしまう。ロナウドは4得点をあげチームを決勝進出へと導くも決勝戦前日に胃痙攣で病院へ運ばれ一時は出場が危ぶまれた。決勝戦出場するも当然満足できるプレーはできずフランスに0-3で敗れ、優勝を逃してしまう。だが個人としてロナウドは大会MVPを受賞する。

1999年
レッチェ戦で右膝靭帯部分断裂の大怪我を負い、手術とリハビリの為長期離脱。

2000年
コッパ・イタリア決勝のラツィオ戦で復帰するんですが、再び同じ箇所を完全断裂し、僅か7分でピッチを去ってしまいます。たった7分ってあまりにも可哀想すぎますね。
20ヶ月に及ぶリハビリを乗り越え2001-02シーズンの終盤のブレシア戦で復帰し、2ゴールを記録。そのシーズンは10試合出場の7得点を記録。

2002年
ブラジル代表として日韓W杯で優勝!
全盛期のスピードはないものの類稀な得点感覚とテクニック、ゴールセンスでゴールを量産。リバウドとロナウジーニョと共に3Rと呼ばれセレソンを牽引する。セレソン5度目の優勝に貢献し、大会8得点を挙げて得点王に輝いてます。
この当時ではW杯得点ゴール数を塗り替えていますね。今はクローゼの13点ですが。

日韓W杯の活躍で完全復活したロナウドはレアルマドリーへ移籍。
リーグ戦23得点を記録。リーグ制覇に貢献。自身3度目のFIFA最優秀選手賞を受賞。バロンドール受賞。
2003-04リーガエスパニヨーラ得点王受賞。

2007年
1月にACミランへ移籍します。この時チーム状況は最悪だったけどロナウドの加入によりエースであるカカの負担も減ってチームは順位をあげていきCL出場権を何とか獲得する。

2008年
ACミランを退団し、ブラジルに帰国。フラメンゴでリハビリと練習を続けていたが、同年12月にコリンチャンスに移籍する。

2011年
甲状腺に問題を抱えていたことを記者会見にて明らかにし、体力の限界を理由に現役から退くことを表明した。引退となる。

素晴らしい記録を持っていますが、記録以上にあの凄まじいインパクトが記憶に残っています。間違いなく歴代最高選手の一人です。
サッカーの神様ペレですが、僕の中ではロナウドがサッカーの神様と言えるくらいそのくらい大好きであり印象を受けた選手です。

怪我で長期離脱がなければもっと活躍していたことでしょうけど、本当に最高の選手です。

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